48章 防御壁展開そして
『ザアアアア……』
「でー、なんで今度は霧がでてんだよっ!」
デリス山を登り続けること数時間。ついに声をあげたのは靖だった。
森のように茂ってる木の中を避けて、道なき道のごつごつした場所を歩いていた。
森の中にいれば雨は多少避けれるけど何が飛び出してくるかわからないし似たような風景だと迷うって。
最初から視界の開けた岩肌の、森からもだいぶ距離をとった所をゆっくり進んでいた。
傾斜が激しかった山の登り口付近を超えると少し緩やかになっていた。でも急いでも良いことはない。
それに、休みなく歩かざるを得なかった。腰をおろせる場所はなかなか見つからなかった。
「あのね、霧は前日のあたたかい空気が」
「靖には言ってもわからないわよ。説明の必要性なんて皆無」
美紀の言葉を鈴実が遮った。確かに理由だけ言われてもすぐには結びつかないけど。イライラしてる?
あいかわらず雨の事となると機嫌が悪くなるなぁ、鈴実って。キュラと美紀は鈴実を覗き込むように見た。
「ひでぇ。俺、そこまで……っ!」
靖がそう言いかけてぐるりとあたり一体を見回した。レリも何かに気づいたみたい。
二人とも昔から何かの気配には私や美紀よりも敏感だった。靖は雨だと普段より精度があがるし。
カエル恐怖症だから。苦手な存在を避けるために自然と神経は研ぎ澄まされるようになるって奴。
でも毎年田舎へ帰省するのにそれじゃ疲れるよ。よく慣れないなあ。
「靖さっき何か」
「レリもとなるとやっぱりか。鈴実もだな?」
「ええ」
私の前方でレリと靖は互いに頷いていた。何なの、いきなり。
ねえ、私まだ意図が掴めないんだけど。
「ねー、2人して何の話してるの?」
「何って、お前のん……!? よけろっ、清海!」
はっと息を詰まらせて靖が叫んだ。え?
私が背後に向く、靖が剣を抜いて私との距離を詰めようとぬかるみも気にせず駆け出す。
ぬっと、雨の中でもわかった大きな影。その先、その上。かかるぬるい風。
それが意味すること。私が理解したのは何か大きな物体が振り落とされた直後。
「うひゃぁぁぁっ!」
「っとぉ! はあああああっ」
私は叫び、足が少し蹴り気味に浮いた。その足がつるっと滑って私の体は大きく左にこけた。
だけどそれが幸いして意図しない動きは何かを避けた。地鳴り鳥無き木々が低く震撼した。
ばっと転がり起きて間合いをとった。もっと取ろうとする間にも追撃ゆるまず目と鼻の先という程の間。
靖が私の前に滑りこんで剣で切り込んでくれたから私は起きあがる余裕を拾えた。
体が汚れたことに愚痴を言う暇も余裕もない。ようやく私は惨状を目にし、息が止まった。
寸前まで私がいた場所には大きな穴が空いていた。見上げると、異形の姿。
後ろへと伸びた角、ゆらめく鉤爪、頭と胴が不釣り合いな巨体、裂けた口と牙! やっぱり魔物!?
顔は犬科で胴体は人に似てるけど腕は二の腕だけでその先は鋭く曲がった凶器。足は虎のそれ。
かぎ爪2つの僅差の大振りを剣で受け流しながらも靖は踏み込もうと身長差二倍の魔物と向かい合う。
魔物の注意が靖へ引きつけられている隙にキュラが短く呪文を唱えて手を振り上げた。
最後の命令系が聞こえたと同時に何かが私を横ぎる。鋭い、銛のような輝きに一瞬目が奪われた。
狙いは私を襲った存在へ。鈍い、何かにのめりこむような音が雨音に紛れて聞こえた。
でもそれに倒れることはなく轟いた咆吼。気圧されて靖は二度自分から跳んで後退した。
地と風に共鳴を促すそれに身がすくみそうになって私は足をふんじばった。
何、何? 何なの一体!? 襲いかかる敵が魔物ってことはわかってるけど!
こんなに強い、一撃で倒れない魔物は……違う、今までのが弱すぎたんだ。
魔物の強さを内心侮っていた。恐怖心を忘れていた、だけどそのおかげでさっきは避けきれた。
でも攻めはどうすれば良いの? 轟音がやんだ後、すくんで私は動けなかった。
格好の餌食。後ろへ退こうとして突き出た岩に服の裾ひっかかる。
ただ、目にした者を叩き潰す腕の太さがこの時ようやく私の中で強さと釣り合いを取った。
魔物は鉤爪をかざそうとして動きがない。圧すだけ圧して、後ろへと倒れる。
「倒れた……の、か?」
それでも靖は剣を構えたまま気は抜かない。それはこの場にいる全員がそうだった。
あの迫撃。一撃受けたくらいで、もう起きあがらないとは言い切れなかった。
「……もう大丈夫でしょ。死んだはずよ」
ずっと気を張り詰めたまま、だけどまた敵が動く気配はしなかった。
美紀のそう宣言する声が消えてから少し緊張の糸がほつれだした。
「そう、だな……」
それでも少しあたりを見まわしてから靖は剣を鞘に収める。
それで完全に張り詰めていた空気は雨音に解かされて消えてなくなった。
「危なかった……キュラが魔法をうってくれたおかげで助かったよ」
「あ、別にお礼を言われるほどのことじゃ……ダメだ、来る!」
言われる前にも振りかえっていたら大きな何かが居た。その狙いは大きく逸れてる。
「まだ生きてるよ!?」
「違う奴よ、さっきのより大きいわ!」
誰にもあたることはない。だけどそれが地面を叩く時になって私ははっとした。
それが、何を意図して私たちではなく地面を狙ったのか。
さっきの戦闘をこれは目にしていたなら、のこのこと同じ事をするはずもない。
私達は敵を確認した瞬間散り散りに離れていた。気づくのが数コマ遅かった。
叩きつけられた地面の揺れに長く接地することは諦めさせられる。余計、思うツボ!
私たちを分散させて、体勢を整えないうちに個体撃破するつもりなんだ。これにはできる。
でも。
「嘘っ!?」
地は揺るがされ、割けた。私のいる付近を残してみんなは割れた地盤と一緒に落下する。
キュラとレリ、靖と美紀、そして鈴実まで──私と得体の知れない敵だけを残して。
そう、ここは森を避けて歩いていたから道の端。見下ろさなくても絶景が映る断崖絶壁。
その砕けて落ちた先は延々と同じ樹海。あの落差、木に刺されるのはおかしくない──!
「みんなっ!!」
かろうじて落ちなかった私も、かといってこの魔物相手に生存できる確率は絶望的だった。
体は冷えきってそのまま熱は抜け落ちた。それは単に雨に晒され続けたせいだけじゃない。
膝が岩肌について腰が抜けた。へたりこんだ私はそれでも余波に落とされない悪運の持ち主だった。
地面に目を落とすと銀の指輪が転がっていた。あのレイがくれた。
大事にしてたつもりなのに…………そっか、レイ。
なんだろ。絶体絶命なのにレイの睨み顔だけが私の頭の暗い部分に浮かびあがってくるよ。
雨は倒れる者を押しとどめるようにこれから朽ちる身を穿ち、放さない。
小さく手を動かすと、指輪は私の手の中。レイなら、こんな魔物だって倒せるかもしれない。
でも私には、無理だよ────いつもレイはむすっとしてるから、一回くらい笑うとこみたかったかも。
……ごめんね。
一縷の望みもない中、私は誰にそう言いたかったんだろう。
わからないよ、だって謝らなきゃいけない人はたくさんいる。
鉛のように重く鋭い刃が私を刻むのを瞼を伏せて覚悟した。
お腹に、凄まじい殴打が飛び込んだ。痛みに開かれた小さな視界は黒だけを映し出す。
刻まれた、はず。なのに私は蹴り飛ばされた? 考える暇は誰もくれなかった。
誰かによる強制後退にデコボコの激しい岩盤に背中からぶつかって、ひたすら私はむせた。
あれ……何だろう。さっき一瞬閃いた感覚は。なんだかデジャヴを感じたような。
でも収まるまでには、そう時間をかけられない。せき込みながら空を見上げたら形勢は逆転していた。
魔物は首を削ぎ落とされて頭が何処にもない。胴のみの身体は地面に横たわり、ひくつきもしなかった。
そして、私を蹴飛ばしてすぐそれをやってのけた本人が目の前にいた。その手にある剣には赤く滴り落ちるもの。
何を言えばいいんだろう。呆然と、名前を呟くしか出来ない。
「……レイ?」
小さすぎて雨にかき消された私の声。絶えず切り替わる透明な幕の先で。
あいかわらずの不機嫌そうな顔が私を見下ろしていた。
「ここはどこだ」
「どこって……デリス山だけど」
相変わらず抜けた声で当然のことを言う。
砂漠を越えたあたりである山脈でこいつが目指す場所といえばそこしかない。
それくらいじーさんの話を十聞かないでもわかる。神の器を降ろす女の居場所。
「山のどのあたりだ」
「さあ……? 中腹にも辿りついてないのは確かだと思うけど」
この山に入ってそう長くはないということか。
景色からおおよその見当をつけると、まだ入り口にも遠い。
「で、でもレイはなんでここにいるの? しかもさっき……」
いきなり出現したよね。
そういえばこいつには……面倒だと思って何も教えていなかった。
そのせいでこいつは今の状況が把握できていない。
「お前に渡した指輪だ」
握られた拳を掴み開かせると俺の渡した指輪がある。やはり悪運がこいつは強い。
これを手にしていなければ、どれだけ願われようが俺はこの地に呼び寄せられることはなかった。
「え?」
その指輪には守護の魔法がかかっている。闇の精霊が包みこまれたもの。
扱いように難があるからと今となっては生成されることがなく、また売りに出しても売れることもない。
装備者の周りに展開される精霊の力は向かってくる衝撃を緩和し、呑み込む。
それでも防御しきれない場合は指輪が俺を呼び寄せる。やっかむことの多い闇の精霊特有の性質が働いて。
守護の力といえど全てを防ぎきれるわけでもない。所詮は時間稼ぎ。
防いだところでどうにかなる物でなければ、使ったところで意味はない。
「……そんなのってアリ?」
「元々そういうのには長けた国だからな」
「ふぅーん」
そう言い返すとまた首を傾げて俺を見る。まだ何かあるのか。
「それじゃ、その荷物は何なの?」
「じいさんに厄介ごとを押し付けられた」
こいつに呼び寄せられる前に厄介ごとと共に押しつけられた荷。
中身と、何をさせるつもりかは聞いていないから知らない。
「……?」
肝心の内容を聞かされていなかった。だがそれを訊くにはあの砂漠を戻ることになる。
それはそれで面倒だ。砂漠の日中、魔物ほどではないにしても陽光は。
用意の良いじいさんのことどうせ手回しは済んでいるだろう。そして、おそらくは。
荷物を開くと1番上には二つ折りの羊皮紙が置かれていた。やはり、俺の行動も予測済みの上で押しつけてくれたか。
開いて綴りを追っていく間にも雨粒に字は滲み読めなくなっていく。が、俺の目は短い数文に三度目を通した。
「…………おい」
俺の呟きに清海も羊皮紙をのぞきこんで口をぽかんと開けた。やはり、何とも言えなくなったか。
「カースさん、レイがこうなることわかってて?」
紙にはセノロイドの葉を摘んできてくるようにとだけ書かれていた。
抜け目のない年寄りが。俺は出かかった言葉と共に羊皮紙を握り潰した。
そしてしばらく、無言で雨の中佇んだ。
セノロイドシセリウム、通称セノロイド。主な用法は解毒、解熱。
猛毒にはこれがないと対処の仕様がない。それ程効力の高い薬草。
だがこれはずっと湿った谷間の切り崩された岩壁に生えている。
効能が高いもの程、入手難なのは神が定めたという因果関係か何かが有るとでもいうのか。
発生条件は湿っている地帯。雨の染みこみすぎは枯れを、乾いた空気では干からびを起こす。
その性質ゆえ人間の住む場所に生えておらず、探してすぐに見つかる植物じゃない。
面倒な薬草だ。こんな仕事くらい薬剤師がすれば良いだろうことを。
健康優良体のじいさんには必要ない。いつも城と町の医者から請け負っては配下を使う。
俺には何故それを好き好んで面倒ごとを引き受けるのはわからない。だがじいさんには逆らうわけにもいかない。
セノロイドなら、ちょうどこの山を歩いていけばどこかで見つかるだろう。
都合の良いように組んでいるのはいつものこと、どうせ帰りの心配もない。気楽なものだ。
「行くぞ」
「あ、うんー」
濃い霧に包まれているせいで方角はわからないが別に迷ったところで困りはしない。
すでにもう迷っているようのだからそんなことは感じない。
頂上を目指せばキリという奴のいる村に辿りつく。まずはそこを見つけてから、か。
この間抜け一人ではどうにもならなかっただろうが。
見下ろすと、清海は首を傾げてどうしたか問うた。
やはりこいつは間抜けだ。
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